眩しい1日であった。
■予科練平和記念館
「霞ヶ浦の方行ってみようか」となったので、予科練平和記念館を目的地にしてもらった。
駐車場に入った時にスタッフゥ~の人が「あちらの零戦・・あ、飛行機の前が空いております」と、零戦を飛行機に言い直したのが印象的だった。
パピーマミーおまんじゅう(犬)は隣の公園を散歩。
その間に1人で平和記念館を見学した。
[予科練とは]
「海軍飛行予科練習生」及びその制度の略称で、第一次世界大戦以降、航空機の需要が世界的に高まり、欧州列強に遅れまいとした旧海軍が、より若いうちから基礎訓練行って熟練の搭乗員を多く育てようと、昭和5年に教育を開始しました。
14才半から17才までの少年を全国から試験で選抜し、搭乗員としての基礎訓練をするもので、飛行予科練習生制度が始まってから、終戦までの15年間で約24万人が入隊し、うち約2万4千人が飛行練習生課程を経て戦地へ赴きました。なかには特別攻撃隊として出撃したものも多く、戦死者は8割の1万9千人にのぼりました。
館内に車いすに乗ったおじぃ(90歳くらいかしら?)がいた。
予科練の時間割をみて「月月火水木金金」を口ずさんでいて何とも言えない気持ちになった。おばぁが「ほかの人もいるからっ」って小さめの声で注意していたけど、もう大声で一緒に歌ってあげればよかったな、とちょっぴり後悔している。
とても貴重な資料がたくさん展示してあった。
予科練生の手紙も展示してあったが、家で1人じっくりと読みたいと思った。
ここでは30歳はおじさんです。
なぜならみんな20代で死んでしまうからです。
という内容の手紙がとても印象的で胸がキュゥとなった。
帰りにグッズを購入した。(パンフレット、遺書/遺言集、零戦21型ピンバッチ、戦艦大和ピンバッチ、戦艦大和鉛筆削り、ネックストラップ(海・陸)、クリアファイル)
大人500円なのだけど、2,000円くらい取ってもいいんんじゃないか?と思った。
また来たい。
そして、お隣にある雄翔園・雄翔館(予科練記念館)も見学。
[雄翔園]
雄翔園は、予科練の戦没者約1万9千人の霊璽簿(れいじぼ)をおさめた「予科練の碑(予科練二人像)」を正面に配した庭園[雄翔館]
雄翔館は、予科練戦没者の遺書・遺品約1500点を収蔵、展示。予科練出身者、遺族などで構成される財団法人海原会が管理しており、1968(昭和43)年に開館。
こちらは、陸上自衛隊土浦駐屯地武器学校の敷地内にある。≪こちら≫みたいな誘導看板あるのに「入っていいのかしら?」とドキドキしすぎて、入り口にいた自衛官の方に「あ、あの、、入ってもいいですか?」と挙動不審に謎の承諾を得てしまった。
「はい!もちろんです!どうぞ!」と今日の太陽より眩しい笑顔で言われたし、爽やかハンサム自衛官2名だったので今年1番緊張した。
敷地内はとても静かで心地よい風が吹いていた。
戦車がいっぱい並んでいた
雄翔館も雄翔園も無料で見る事ができる。
遺書・遺品が展示されており、写真もずらりと展示されている。
小学校低学年くらいのお子さんを連れて見学にきていた人がいた。
子供が「なんでおてがみばっかなのー?あのひとたちだれー?」と疑問を抱いていたが、お母さんが丁寧に説明をしてから、「・・・ふ~ん。」って言いながら食い入るように展示品を見つめていた。そこからはお母さんたちの問いかけへの返事が全部上の空で私もあれくらいの集中力が欲しいと思った。
とりあえず、これが無料で見れるのか…と思った。どこかに募金箱でもあるのかしら?と探したけど見つからなかった(あったらごめんとしか…)。
敷地を出るときに爽やかハンサム自衛官に「ありがとうございました!」と今日の風より爽やかに言われ、何て良い日だろうかと空を見上げた。
帰りは牛久大仏の前を通って帰宅。
とんでもなく充実した1日となった。
今日の出来事
・予科練に思いを馳せた
・大仏のご利益ビームをチビっとだけ浴びた
生きる糧
[朝]なし
[昼]マック(てりやき・ポテツ・アイコー)
[夜]すき焼き